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自己紹介記事

はじめまして!
専業主婦から一転、在宅ワークで月収50万円を稼げるようになったよしえと申します。
このwebサイトを訪れていただき、ありがとうございます!

あなたは、金銭的に余裕のある友人を羨ましく思った経験がありますか?
私は正直、あります。

学生時代からの友人、
元職場の同期、
転勤先で仲良くなったママ友、

我が家よりも世帯収入が多い友人たちとの格差を感じた時、友人を羨んでばかりの自分をとても醜く感じました。

こんな卑屈な自分は嫌だ。
そう思った私は、お金を稼ぐ方法を模索し始めました。

条件は、
①在宅勤務かつフルフレックス
②夏季休暇及び年末年始休暇あり
③年収は400万円くらい

見事私はこの条件を満たす仕事を見つけ、今では月収50万円を稼げるようになったのですが、今日はそこに至るまでの経緯をお話しさせてください。

基本情報

名前:よしえ
年齢:40ジャストに近いアラフォー
家族:夫と7歳双子
職業:専業主婦→SNSコンサル
住まい:福岡出身の神奈川在住

私の学生時代

優しい両親と溺愛してくれる姉2人に甘やかされて育った幼少期。
「よっちゃん賢いー!」とおだててくれる家族の声に乗せられ、
すくすく成績を伸ばした私は、地元福岡で一番の進学校である公立高校に合格しました。

憧れの高校に合格し、高校デビューを果たした私。
ちょっと羽目を外しすぎたのか、入学当初学年20位以内だった成績は3年間でみるみる下がり、大学受験は大失敗。

浪人までしたものの、受かったのは現役時代にも受かっていた滑り止めの大学のみ。
両親の落胆とは対照的に、ついに始まる東京での一人暮らしに、私は胸をときめかせていました。

大学卒業後には必ず帰ってくるからと、両親の元を離れ一人暮らしをスタートさせたのでした。

就職、結婚、退職

卒業後は地元に戻ると両親に約束していたにもかかわらず、
大学時代にはじめての彼氏ができた私は地元に戻ることを拒否。

就職できれば彼のそばにいられるからという理由で、東京での就職活動を開始しました。

かっこいいオフィスビルでOLとかしたいな。
彼と別れたら、仕事をやめて地元に帰ろう。
と、志低く就職させていただいたのは財閥系の大企業!

人事にはそんな舐めくさった態度がバレていたのか、
社内でも有名なパワハラ上司(シゴデキ)のもとに配属され、
徹底的に鍛え上げられました。

結局大学時代から付き合っていた彼とは別れることなく、26歳で結婚。

しばらくは子宝に恵まれませんでしたが、
入籍から5年、待ち望んでいた妊娠が発覚。

まさかの双子妊娠に驚いていたところ、畳み掛けるように夫の海外赴任が決まりました。

仕事辞めることになるけどついて来てくれる?

そんな夫の問いかけに、もともと仕事に対しての志が低かった私は、仕事を辞めることに抵抗を示すどころか、むしろ小躍りしたことを覚えています。

バラ色の駐在生活

『旦那さんの駐在が何年か分からないし、ちょうど妊娠したばかりだから、ひとまず産休育休の扱いにしておこうか?』

退職を願い出た私に上司からありがたい申し出がありましたが、それを意気揚々と断り退職届を提出。

地元で出産した後、生後半年の双子を抱えて夫の待つヨーロッパへ飛び立ちました。

もちろんはじめての育児は大変で、慣れない海外生活は本当につら……
かったのは、最初の6か月だけ。

息子たちのイヤイヤ期が到来する前にお出かけせねば…!と、私は双子を連れて観光地やカフェ巡りを始めます。

電車とバスを乗り継いで片道1時間なんてなんのその。
見知らぬ日本人ママたちの間で『めちゃくちゃアクティブな双子ママがいるらしい…!』と話題になったこともあるそうです。

双子と私の3人で黙々とお出かけを楽しんでいましたが、息子の習い事や友人の紹介で少しずつお友達も増え、帰国時には抱き合って泣いてしまうほどの大切な友人たちに恵まれました。

アフタヌーンティーに三つ星レストラン、
高級ブランドのサンプルセールに海外旅行。

賛否両論ある海外駐在妻生活ですが、『働きたくない、写真が好き、旅行が大好き』な私にとってはまさしくバラ色の日々でした。

本帰国後

一気に広がった格差

帰国してからも駐在中にできたママ友との関係は続きました。
駐在の時と比べるとお互いの家が離れてしまったので、前のような頻度では会えないけれど、2ヶ月に1回ペースのランチ会がとっても楽しみで。

その時々でトピックは違うけれど、美容に旅行にジュエリー、こどもの習いごとにインテリア、どれも駐在中は同じレベルで話せていた話題。

それが、帰国した今では同じレベルで話せなくなっていることに気が付きました。
そう、日本に帰ってくると、ママ友家族とは年収に格差があったのです。

実はこれ、駐在中にできたママ友だけなく、バリバリとキャリアを積み上げた高校時代の友人たち、コツコツと昇進した前職の同期たちとの間にも同じ現象が起きました。

もしかして私、友人たちの中で底辺にいるの…?

と、気づいてしまった瞬間でした。

これじゃただの性格ブス

格差を自覚してからは、ママ友や友人たちに会うことを辛く感じるようになりました。

ただの近況報告がマウントを取られているように感じたり
息子に手厚い教育を与えることができない自分を情けなく感じたり。

なんだか他の家庭の夫を、妻を、子を、羨んでばかりの日々。

少しご無沙汰になってしまっていたママ友とのランチ会の帰り道、
あれ?私ってこんなに卑屈だったっけ?
何がこんなに私を醜くさせているんだろう?と自問自答しました。

夫がもっと稼げばいいのか?
いや、頑張り屋さんの彼にこれ以上の負担をかけようなんて思ってない。

教育熱心なママになりたいのか?
いや、自分では頑張れないとわかっているからこそお金で解決したい。

じゃあ…私が稼げば、全部解決するんじゃないの?

他人を羨んでばかりで性格ブスになってしまった私、やっと働きに出ることを決意し、転職サイトに登録したのでした。

ついに働くことを決意…!

喜んで専業主婦になった私にとって、働きに出るというのは非常に億劫なことでした。

そんな私の働く条件は、なんともわがままなもの。

①在宅勤務かつフルフレックス
土日は家族でお出かけしたいし息子の習い事は平日のままがいい。
②夏季休暇及び年末年始休暇あり
夫の会社のお休みに合わせて休みたい。
③年収は低く見積もって…400万円くらい
本当は前職の同期と同じくらいもらいたいけど我慢我慢。

賢いあなたは、もうお気づきなのではないでしょうか。
そう、そんなお仕事は全く紹介してもらえませんでした。

それどころか私の査定結果はなんと…年収200万円

✔️特筆すべきスキルもない
✔️無職歴も長い
✔️夫は転勤族
✔️2人の未就学児持ち

こんな私には、前職の同期の半分の価値もないと言われたのです。

救世主現る

やっぱり今さら働くなんて無理かな…。

せっかくの働く決意が消えそうになっていた私のもとに、同じように転勤族の妻で専業主婦だった友人が、在宅ワークで会社員以上に稼いでいるとの情報が入りました。

なにそれ!気になる!在宅ワークってなんのお仕事してるの?

と友人を質問責めにした結果、返ってきた答えは、

SNSマーケティングを学んで、
企業や個人事業主のSNSコンサルをしているよ

その時にはまっったく意味を理解できなかったのですが、私はその日のうちに彼女が所属するスクールの勉強会に申し込み、結局、彼女と同じ道を目指すことにしたのです。

現在

SNSコンサルとして収入が安定するまでは、想像していたよりずっと努力と根性が必要でした。

でもわがままだったはずの働く条件をすべて叶えられただけでなく、今では理想の月収30万円を上回る金額を達成することができたので、頑張って良かったなと心から思っています。

たった1年で月収50万円を叶えた私が何を学び、何をしたのか。
これからこのブログを通してわかりやすく紹介していくので、読んでもらえたら嬉しいです。